小学校の選択

ハイリスク妊娠
今までずっと一緒だった二人が別々の道を歩み始めます

私が6年間、悶々と悩み続けていた問題について、今日ひとつの結論が出たので記しておこうと思います。

2017年1月、妊娠23週で突然の破水で緊急入院しました。あの時のことは数年後にようやくブログに綴ったのだけれど、いま思い出しても冷や汗が出る展開でした。

「何か心配なことはある?」と聞かれた。

「あの…昨年5月に次女が生まれました。もし今年度中に産まれたら同級生になっちゃうなぁって…それが心配です。」随分呑気なことを聞いているように思えるかもしれないが、いったいこの入院生活はいつまで続くのかピンとこなくて、そんなことを聞いたのだ。

「同級生になるかもしれないね。2ヶ月は保たないと思う。」

『前期破水~安静入院~早産』より

結局、三女は2月2日に在胎24週5日で誕生しました。706gしかない超低出生体重児でした。なんとか一命を取り留めたことに安堵しながらも、私の頭の中は不安でいっぱいでした。大人になれば早生まれなんて特に気にすることでもありませんが、子どもの頃の月齢というのは大きな差があります。3月生まれの長女も、保育園入園当初は他の園児よりも小さいことが気になりました。「早生まれで早産なんて…同学年の子についていけるのかしら…」と不安で仕方がありませんでした。でもまずは、子ども達を元気に育てなければと必死でした。


3年前、長女が私の母校(F小学校)を受験したいと言い出しました。F小学校は地元の国立大学の附属小学校で、私達三姉妹と父が同じ小学校の出身でした。近所の公立校(A小学校)は家から同じくらいの距離にあり、教育熱心と評判だったので「A小学校で良いじゃない。どうしてわざわざ受験するの?」と聞くと「制服が可愛いから」とのことでした。

「長女がF小学校に行けば、次女と三女も行きたいと言うだろう。でも、次女はともかく、三女も行けるだろうか。厳しいのではないだろうか。同学年で違う学校になったら、学校行事は2倍になってしまう。そんなの大変で嫌だなぁ…」と思ったけれど、子どもが挑戦したいと言うことを、親(私)の都合で制限するのは私の主義に反します。悩みながらも長女の挑戦を応援し、見事に合格しました。

30年前の私と母の真似っこをできて感動した!

長女のF小学校入学はとても嬉しかったけれど、同時に「あ~!どうしよう3年後…!」と悩んでしまう自分が嫌でした。


その頃、小児整形でリハビリを続けていた三女はようやく自力で歩けるようになり、整形のリハビリを卒業しました。そして私は長男を妊娠しており、しばらく三女にかけるエネルギーが不足気味になっていきました。

妊娠中のリハビリ通院はとにかくきつくて、リハビリ卒業時に言葉の遅れを指摘されたのに「ちょっと待ってください…」と対策に動き出せませんでした。


ようやく長男も落ち着いてきた頃、三女が年中になっても赤ちゃんのような話し方なのが気になって、ついに言語聴覚療法を開始しました。

言語聴覚療法は需要が多いために、このブログを書いてからもなかなかリハビリを開始できず、私はイライラしてしまいました。自分の都合で開始を遅らせたのに、ようやくヤル気になったら他者の都合で開始が遅れることにイライラするなんて自分勝手であることは重々承知ですが、私は焦っていました。「早く始めればよかった。小学校入学に間に合うだろうか…」と泣きたくなるほど落ち込んでいました。

すると職場の言語聴覚士から「開業している方がいるので相談に行ってみたら?」と言われ、病院のリハビリ以外にも個人で開業してる言語聴覚士に相談に行くようになりました。病院で月に2回のリハビリ、さらに月に1回レッスンを受けるようになりました。家でも絵本を読み聞かせたり、漢字カードやひらがなカードで言葉のインプットとアウトプットの家庭学習に励みました。お風呂でも数字カウントなどで、意識して話しかけるようにしました。三女はみるみる成長し、とてもよく話すようになりました。

あまりにも飲み込みが早いので「このまま成長したら言葉の遅れが追いつくかも」と期待してしまうほどでした。


次女と三女が年長になり、小学校受験が頭をかすめましたが、私は迷っていました。「成長しているとは言え、まだ同学年の子と比較すると三女は遅れているのよね…」と冷静に考えると、受験が三女にとってプラスなのかと言うと、よくわからなかったのです。

しかし、そのころ長女が「来年からは、私も妹と行けるようになるよね…」と繰り返し話すようになりました。姉妹で登校することに憧れていたようです。


私は迷ってしまい、受験について色々な人に相談するようになりました。

小児科の先生や言語聴覚士の先生に相談すると「どうして受験したいの?F小学校はほとんど学習支援ありませんよ。あそこは大学での研究成果を研究発表で試すための学校です。他の学校に比べて、特に学習に熱心というわけではない、目的が異なる学校です。」とバッサリ断じられたので「それはそうなんですけれど、長女が妹と登校したいと言うのです。それに、私も働いていますし、小学校が二つになると行事などが大変で、できれば一緒の学校に行って欲しいという思いがあります。」と言いましたが、色々話していて最後の方で「お母さんが大変で迷うのはわかります。でも、子どもを一番に考えて決めなければいけませんよ。」と強く言われたのが印象に残りました。

個人で開業している先生に相談すると「メイちゃんは成長が素晴らしいですから、どこまで伸びるか見極めてから決められてはいかがでしょうか。発達評価を受けて、攻め方を考えましょうか」と提案されて、いくつか発達評価の検査を受けたのですが、伸びてはいるものの、課題も浮き彫りになりました。弱いところを攻め始めると集中力もそぞろになります。「メイはメイに合ったサポートが必要なんだな」と実感しました。

保育園の先生とも面談していただきましたが、私が想像していた以上に、三女の園生活は色々な先生がフォローしてくださったことがわかりました。また、「F小学校に行くのでも、A小学校に行って支援を受けるのでも、どちらでも共通して言えることですが、トイレの自立は必須です!そこは支援の先生方はサポートしてくださいません」と言われて慌ててトイレトレーニングを家でも始めました。

また保育園の友達の保護者さんから「うちの子が、メイちゃんが可愛いからってお世話してあげていると家で話していますよ♡」と言われて「周りの人に助けてもらう才能があるのね」と感じました。

2023年1月8日
お友達が代わりにインタビューに答えてくれていた(笑)甘え上手なメイちゃん

小学校受験模擬試験と面接対策の講座を受けた学習塾の先生にも相談しました。「面接などの態度は非常に伸びましたね。いけるかもしれません。ただ、入学できたとしても、入学後はどうかなぁ…。次女ちゃんは大丈夫だと思いますけれどね。なにが子どもにとって良いことなのか…というのは難しいですよね」と言われました。

他にも、私自身の恩師や、小学校の教師をしていた知人、A小学校のママ友など、色々な人に率直に意見をぶつけて、私の中でたくさん考えました。長女がA小学校のミニバスケットボール部に入部したことや、私自身がA校区の子ども会の会長になったことで、相談できる人が増えたのも良かったのかもしれません。

「F小学校は三女にとってはベストではないな。三女の受験はやめようかな…」と考え、A小学校の特別支援学級に入りたいという希望を申請しました。佐賀市から前向きなお返事をいただき、A小学校にも手続きを進めて欲しいとお願いしつつ、次女は受験させようと考えてF小学校の受験説明会に行きました。そのころには私は「学校行事は2倍になっても良いや。学校を分けよう」という考えがありました。次女は0歳の頃に三女が生まれ、ずっと同学年の妹をサポートしてくれていましたが、三女に比べて妙に大人びたところがあるのが気になっていました。ヤングケアラーって言うのでしょうか、妹の世話をすることで子どもらしさが失われるのは避けたい。あえて次女と三女は学校を分けた方がいいのかもしれないと考えたのです。

そして先日、長女と次女が年末年始の大阪への帰省を早めに旅立ったところ、三女が一人で元気に保育園やスイミングスクールに行くのを見て「三女は次女がいなければいけないと思っていたのは、私の思い込みだったのね。ちゃんと三女は自立しているのね!」と嬉しい驚きがあったことも、私の心にありました。

2023年1月8日
科学者になりたい次女

しかしながら、説明会会場では「年長の娘が二人居ますので、願書は二部いただけますか」と二人受験することを想定して説明を聞いていたのですが、色々と驚きました。

「出願時に二人分提出する場合は二回並ぶこと(出願は持ち込みのみ可。その場で提出書類を確認するため、時間がめっちゃ長い)」「第一次選考当日、第二次選考当日は、受験生一人につき保護者一人がつくこと。保護者は祖父母は基本的に不可」と言われ、思わず質問の時間に「私の夫は来られません!単身赴任で二人受験はするなって事?」と聞いてしまったのですが「個別にご相談ください」と言われました。まぁ何というか「片親はお断りって事か?コンチクショウ!」とブチギレモードになってしまい、説明会会場にいた人達の印象に残ってしまったらしく、私の子が受験することは広く知れ渡りました…。「大丈夫か?父親のフリしようか?」と連絡してくれた男友達もいました。

「あぁ!もうイヤ!もう受験するのなんてやめてしまえ!ママはヤル気無くなったからね!」と帰宅して家でぶちまけると、三女が澄んだ瞳で「メイ、受ける…!」と訴えてきました。もはや受験をイベントかなんかだと勘違いしているような気もしたけれど…。子どもがやりたいことは応援したいことには変わりない!私も覚悟を決めました。


出願には二人分で二回並んで3時間半かかり、試験当日に付き添ってくださる人を確保し、いざ決戦!直前に私がコロナの濃厚接触者となり必死で抗原検査2回陰性を叩き出し(受験生の二人にはコロナワクチン3回+インフル2回、私はコロナ5回+インフル1回と獲得免疫は完璧!)、試験当日に寒波がきてシャレにならないくらい寒くて意識が遠のきながらもなんとか受験して、本日結果発表!!(長女のときは翌日だったのにコロナの再試験があるため2週間後になった)


一次選考結果  次女合格  三女不合格

掲示板の前で10回くらい確認したけど三女の番号は無く…

次女の第二次選考は抽選で、運良く合格を引き当てました。


帰宅して次女に合格証明書を手渡すと、三女が「メイのは?」と聞いてきたので「メイはダメだったよ。メイはA小学校に行こうね。」と言うとしばらく黙り込んでしまいました。しょんぼりと落ち込んでいました。次女が控えめに合格証明書をしげしげと眺めていました。

「残念だったね。でもA小学校は保育園の○○くんも行くし、仲の良い子がたくさんいるから良かったね?」黙って頷いていました。

「F小学校は制服だけど、A小学校は私服だからオシャレして行こうね。可愛いお洋服を買ってあげようか?」と言うと「行く!」と笑顔になり、佐賀の唯一の百貨店で爆買いしました。ちゃっかり次女と長男も服を選んでいたのが笑えましたが、まぁいいや。みんなまとめて御祝しよう!!


そして今まで色々相談してきた人達に結果報告をしました。姉妹で合否が分かれたのでコメントが難しかったでしょうが、皆さん優しくて有り難かったです。

三女の進路に関しては夫とも議論を繰り返していたのですが、最初は心配なあまり色々と私がすることに口出ししてきた夫が「まりに任せる!」と一任してくれるようになりました。結果を報告したところ「それぞれ良い方向に歩み出したんじゃないの?それぞれ別で大変だろうけど」と優しく受け入れてくれたのにホロリとしました。

ほかにもA小学校の魅力を語ってくれた人や、「長男がどちらでも気楽に選べるようになったね。気を遣ったのだよ。さすがメイちゃん」と超前向きに解釈してくれた人など、私の周りはどうしてこんなに優しい人が多いのかと感動しっぱなしでした。


さてA小学校の支援級を選ぶとなると次の悩みはこちらです。

大阪の「ともに学ぶ教育」が変わる? 「特別支援学級で半分以上の授業を」文科省の通知が波紋 分断危ぶむ声も|学習と健康・成長|朝日新聞EduA
大阪府内で長年続いてきた、障害のある子もない子も通常学級でともに学ぶ教育の形が変わろうとしています。きっかけは文部科学省が今年4月に出した通知。特別支援学級に在籍する児童生徒は授業時数の半分以上を支援学級で学ぶよう求める内容で、保護者や先生たちからは不安の声が上がっています。

インクルーシブ教育と、健常者と障害者を一緒に学ぼうと言いながら、実際には難しいのか…? 聞くところによると、支援学級は学校によりかなり差があるそうなので、A小学校の先生方としっかり相談しながら進めていきたいと思います!。

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