私はこの記事の症例と似た経験をしたので「悲しみが感じられない」と言うのは「あぁ、そうだったかも」と思いました。
双子のうち一人が亡くなってたことがわかった状態で出産に挑み「おめでとう」と「ご愁傷様」を同時に言われて、私自身も混乱しました。
私の時も臨床心理士さんとかが来てくれたのですが、悲しい気持ちはあるものの、これからの育児に気負っていて、悲しみに浸るスイッチが入らなかったのです。
その一方で「涙一つ流さないで、私はなんて冷たい母親なのかしら…」と思ったり、表面には出せなくても、複雑な思いが渦巻いていました。
それから、周りに甘えることが苦手で、変に気を遣ってしまい、泣いたり取り乱したりすることもできず、「大丈夫です」とか言っていました。
「じゃ、その時どうして欲しかったの?」と聞かれてもよくわからないけれど、たまたまその頃に接した助産師さんに
「あなた、上にも二人も小さい子どもがいるの?続けて生まれて大変ね。お子さん、残念だったけれど「自分までいたらママが大変だ」って遠慮したのかもしれないわね。子どもはね、色々わかっていて気を遣うのよ。」
と乳房マッサージされながら言われたのが、不思議としっくりきたのを覚えています。初めてポロポロ涙が出てきたけど、人前で泣くのも嫌で「おっぱいが痛いなぁ…」と言い訳したりして。でもそんな言い訳を言えるようにマッサージしてくれたのかも…
しかし、その話を友達にしたら「え!そんなこと言われたの?酷いこと言う人もいるのね!」と言う人もいて、感じ方は人それぞれなんだなと思いました。
周りの人も色々考えて接してくれるけれど、正解なんて無いと思います。
周りから見て「どう考えても辛いはずなのに、変に明るい」人を見たら、その人が話したくなるまで待つことも必要なのかなと思います。私は特に、すぐに反応できず、ちゃんと「悲しい」と認知したのは3年くらい経ってからでしょうか。ブログにハイリスク妊娠について「そろそろ書けそう」と思うまでに年単位で時間が必要でした。だから明るくても「もう大丈夫なのね」と決めつけないで欲しいです。気丈な人ほど危険です。
ちなみにその印象的だった助産師さんは、長男出産の時に再会しました。あの時の話はしなかったけれど、相変わらず「無理してない?おっぱい痛くない?」と心配してくれて、その徹底したプロ意識に癒されました。それでまた、激痛マッサージをしてくれました。←これは、出産直後でパンパンに張っていたから。張っていない時は優しくて気持ちいいです。
そして相方が亡くなった三女ですが、二人分以上に逞しく生きています。時々「ブログに子どもの写真載せて大丈夫なの?」と聞かれて、私なりにも色々考えたのですが、あんなに小さくて弱かった三女が、いま元気に生きているのを見せたい、という思いがあります。
双子の片方が亡くなり、前期破水で子宮感染を起こして24週で生まれた我が子を「私に育てられるのだろうか…」と青ざめながら見つめていたあの頃の私と、私と同じような思いをしている人に見てほしい。
そしてそんな私と娘を心配してくれた人に見てほしいと思っています。心からの感謝を込めて。
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