男と女

私見

佐賀県医師会の会報『医界佐賀』1月号に「女性医師の視点」をテーマに寄稿した。この原稿依頼をいただいた頃は、ちょうど自民党総裁選が盛り上がっていた。その時、高市早苗さんが話していた言葉がとても好きだった。女性初の総理大臣が生まれるかな?と盛り上がっていたのでこんな質問を受けたのだろう。

Q:女性初の総理大臣を意識されてますか?

高市早苗「憲法43条に基づきまして、国会議員は”全国民”の代表でございますので、年齢・性別に関係なく全国民の皆様の為に働きたいと思います。ただ、小学生の女の子が『将来は総理大臣になりたい』と言って下さると凄く嬉しいなと思います」

そうそう!政治家ってたまにものすごくカッコイイ発言をする。そういえばあの言葉も政治家の発言だったなぁ…ということを思い出しながら原稿を書いた。『医界佐賀』の編集部に許可を得たので、ここでご紹介する。

『男と女』

私自身は三姉妹の次女だが、父親に「お前は長男だと思っている」と言われ続けて育ったこともあり、仕事中にことさら女性であることを意識する場面は無い。最近、医学部入試の女性差別の問題等に絡めて「女性だから差別されたことはあるか」と聞かれる機会が増えた。これについて、私は高校生の時に感銘を受けた、ある女性の発言を思い出す。

2002年1月、田中眞紀子外相(当時)が小泉純一郎総理(当時)に更迭された。その際に田中外相が涙を流したことについて小泉総理が「涙は女性の最大の武器だっていうからね。泣かれると、もう男は太刀打ちできないでしょう」と発言したことに対して大バッシングの騒ぎになった。参議院の予算委員会で野党議員が「女性蔑視ではないか」と小泉総理に見解を質し、さらに出席していた4人の女性閣僚にも意見を求めた。女性ならこの発言に反発するだろうから閣内の結束を乱したい、もしくは問題ないとすれば「小泉の言いなり」と批判するつもりだったのだろう。しかしそこは、さすが女性で大臣になるほどの方々、非常に上手に対応された。

森山真弓法務大臣(当時)「男性に泣かれると女性はとても弱い。お互いさまではないでしょうか」

遠山敦子文部科学大臣(当時)「(小泉総理が)感想をもとめられて率直にお話になるのは、ひとつの人格の魅力」

扇千景国土交通大臣(当時)「涙は宝石。私は堂々と泣こうと思っています」

川口順子環境大臣(当時)「素晴らしい男性の前で涙を流して、それは女性の武器だと一度言われてみたい」

4人とも素晴らしかったが、特に最後の川口順子さんのユーモアのセンスの良さ、誰も批判しない表現に感動した。川口さんの著書『涙は女の武器じゃない より子流「しなやか激闘録」』より、女性差別に関する記述に共感したので引用する。

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「女性だからといって差別されませんでした?」と以前よく聞かれました。この答えはけっこう難しい。人間は「私はもっと能力があるはず」とか、「評価されてない」と感ずることがよくあるけれど、それが自分の能力を客観的に見ていないためなのか、ひょっとして女性であるためなのか、わからないからです。私はそういうとき、だいたい「自分の能力のせいだ」と思ってきました。外れていないと思います。それに、あまりこの点にこだわってみても意味がない。評価されなかったと思ったら、研鑽や経験を積んで次に備えるだけ。

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そう、悔しい経験に執着しても仕方ないことがある。たとえ差別されても認められるくらいの実力をつけて次の闘いに挑めるよう、しっかり努力をするのみ。そうでなければ、いつまでも「だから女は」と後ろ指をさされてしまう。男性は「男だから差別された」なんて言わないし、言えないものである。それが覚悟の差として出てしまう可能性がある。

最近はジェンダーフリーという考え方が勢いを増しているが、私が考える男女平等は性差が無くなることではない。男女差はあって当たり前で、それぞれの良さがある。勝ち負けにこだわる必要はないし、完全に同じになる必要もない。男性は男性らしく、女性は女性らしく、心地よく過ごせることが理想的だ。お互いを尊重して過ごすことが、真の男女平等ではないかと考える。

これが発刊された頃に、また色々と考えさせられるニュースが飛び込んできた。

男女の体力の差は歴然としており、男女混合でスポーツをしてもうまくいかないから「ハンディ」などを認めてもらうことがある。それをもっとわかりやすく「男女別にスポーツしましょう」というのが部門分けだと思うが、トランスジェンダー(昔の性同一性障害)の方はどう扱うのか…という問題だ。オリンピックで性転換手術後にホルモン検査の値によって、性転換手術後の性別で出場した前例があるが、その選手は記録に関与しなかったのであまり問題にならなかった。が、今回は記録を塗り替えてしまったとのこと。

性差を無くそう…と言うあまりに、なんだか変な方向に行っているような息苦しさを感じるのは私だけだろうか。性差はあるのが当然で、それを前提に男女ともに(トランスジェンダーの方も含めて)生きやすい世界的を模索する方がいいのではないかと思う。

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