卒業おめでとう!!

医学ネタ
保護者の気分(笑)

患者さんが高校を卒業したと報告に来てくれました!とっても嬉しかったです!!!

個人情報保護の観点から、通常は患者さん個人のことは書かないのですが、ご本人に許可をいただいたので書くことにしました。

地元では知らない人はいないくらい有名なスポーツ強豪校の水泳部のキャプテンだったシンくんは、高校三年生になる前の春休み、県外での水泳部の合宿で泳いでいる最中にクモ膜下出血を発症しました。

クモ膜下出血といえば「三分の一病」という異名を持つ、大変予後が厳しい病気です。クモ膜下出血を発症した人は、三分の一の人が病院到着前に亡くなり、三分の一の人が重度の後遺症が残り、三分の一の人が社会復帰を果たすと言われています。

シンくんは、プールの中で動かなくなったことを周りが気付き、ドクターヘリで救急搬送されて迅速に適切に処置が行われたため、一時は昏睡状態になったものの、命を落とすことは回避できました。

ご両親は県外の病院からできるだけ早く佐賀の病院に転院させたいと当院にやって来られました。転院前に病院に見学にいらした姿を遠目に見ていて「随分と熱心なご家族ですね」とスタッフに言うと「なんでも患者さんがとても若いそうですよ」と教えてくれました。

そして予約票を見せてもらって固まりました「え?17歳?」

当院の入院患者さんは60歳以上が大半で、私の年齢の倍以上の方もたくさんいらっしゃいます。そんな中、私の年齢の半分にも満たない患者さんが来ることは極めて珍しく、戸惑いを隠せませんでした。

ほどなくして、シンくんが転院してきました。当院の医師の中では私が最年少なので「年齢が近い方が良いだろう」とのことで私が担当になりました。

初めて会った時の印象は「若っ!」←まんまやん

何も聞いていなかったら「入院患者さんのお孫さんかな?」と言うような雰囲気でした。車椅子に乗せられて、とても幼い印象を持ちました。ご両親の方が私の年齢に近そうでした。

「足に力が入らない」と言い、尖足で立たせられない状態でした。そして記憶力も集中力も注意力も低下していて「高次脳機能障害が深刻そうだな」と感じました。

当院では担当するスタッフが毎月集まって治療方針を議論するのですが、その初回の会議で「シンくんが高校総体に出たいと言っていて、すぐにでも退院したいと言っている」との意見が出てギョッとしました。「何を言っているの。クモ膜下出血発症からまだ一ヶ月でしょう。常識的に考えて無理よ!」と言ったものの、自分でも「じゃ、いつからなら泳いで良いのだろう?」と頭を抱えました。

脳外科医に相談すると「クモ膜下出血後に水泳をさせようと思ったことがないからよくわからないが、再出血したら命に関わるからね。慎重に考えないと」と言われたので「攣縮期はもう過ぎていますよ。彼は背泳の選手だから上向きだし、ダメですかね…?」と悩んでいたら「コイリング後だし画像検査はしたいよね…片寄っていたら脆弱になるでしょ」と言われてビビり
神経内科医にも「抗痙攣薬を飲んでいるでしょ。水中で痙攣起こしたら上向きも下向きもないでしょ」と言われてまた悩みました。痙攣に関しては前医に脳波所見を聞いて問題無しと判断したものの、スポーツの中でも水泳はかなりハードルが高いです。

「白血病の池江璃花子選手ですら一年は泳いでいなかったですよね」と言われて「病気が違うでしょうが!でもやっぱりまだダメな気がする…」と混乱してきました。

そこでふと「水泳に詳しそうなスポーツドクターに聞いてみるか」と黒木崇子先生に連絡しました。

今考えても相当失礼だったと思うけど、いきなり電話で「色々考えていたけど、高校総体までの復帰は許可できないと考えているの。どうしよう!私がドクターストップかけなきゃいけないけど、何て言ったら良いだろう?もうやだー医者やめたいー」と泣き言全開だったのですが、黒木先生がたまたま実家に帰省中で「いつ言うんですか?私も説明をお手伝いしましょうか?」と何と病院に来てくれたのです。神!!!

そこで黒木先生から「格闘技などのコンタクトスポーツであれば即引退勧告の状況。水泳はそれには該当しないが、泳者同士の接触やコースロープや壁にぶつかることはあり得るのでリスクはある」といったことを説明してもらい、私から「試合に出ることは許可できません」と伝えて号泣されましたが受け入れてくれました。その日は私まで落ち込んだのだけど「黒木先生すごいわー!」と思って呟いたのがこれ。

本当にあの時は親子ともに辛そうだったけど、本人に言う前にスタッフに「言いたくないなー。誰か代わって欲しい…」とボヤいていたら「ドクターストップは医者にしかできません。でもその後は私達が全力でサポートします!!」と励まされて背中を押されました。

ここで登場する「信頼できるスポーツドクター」とは黒木先生の他にもう一人、福岡大学の重森裕先生です。

重森 裕
福岡大学スポーツ科学部の公式サイトです。スポーツ科学科と健康運動科学科のご案内、経験豊富な指導陣、トップ選手輩出の実績、充実した競技設備、理論と実践の教育、地域社会への貢献活動など、福岡大学スポーツ科学部の情報をご覧いただけます。

スポーツドクターって整形外科医が多いのですが、重森先生は脳外科医なのです。しかも水泳経験者!なので、シンくんとも意気投合したようで、どのような練習ならやっていいかということを非常に具体的に指示してくださいました。

しかも重森先生が私の大学の先輩のお兄様で、お父様は私も講義を受けたことのある脳外科の教授だったので「世間は狭い!」と感動しました。


さて、その後もシンくんには色々な課題が山積していました。春休みに発症してそのまま入院していたので、三年生になって一度も学校に行っていなかったのです。「このままでは卒業できないのではないだろうか」と心配になり学校の先生にご相談したいとお母様に伝えました。すると、即座に先生が病院まで来てくださいました。

クラス担任の先生と水泳部の監督がいらっしゃいました。二人とも爽やかでめっちゃ良い体格で「スポーツ強豪校の先生って迫力があるな」と妙に感心してしまいました。二人ともリハビリに励むシンくんを激励してくれて、回復している様子を喜んでくれました。出席日数について、補講のためのプリント課題について、復学した時にどんな配慮が必要かなどをざっくばらんに話し合うことができました。

水泳部の監督が「厳しい練習をし過ぎてこんなことになったのでしょうか」と心配されていましたが、クモ膜下出血はオーバーワークで起こる病気ではないと明確に否定しました。

お二人を始め、学校全体が入院中も、退院後の外来リハビリについても非常に協力的で、とても有り難かったです。

そしてシンくん自身もめちゃくちゃ頑張りまして…発症当初は「一生車椅子生活だ」と言われるほどだったのに、今は杖も装具も無しにスタスタ歩いています。なんなら走っています。入院中のリハビリは一日3時間ですが、それ以外もずーっと自主練に励んでいました。まず病室で会うことはほとんどなくてリハビリ室や廊下で見かけるような感じでした。

だから退院後も自力で通学して通院してよく頑張っていました!!


さらに卒業後はどうするのか…ということはかなり悩んでいました。私は高次脳機能障害が残るから進学も就労も難しいのでは無いかと思っていましたが、シンくんは驚くほど努力を重ねて、なんと病前よりも学業の成績を伸ばしたのです。これは良い意味で期待を裏切られたので、担当スタッフとも「やるやん!」と大喜びでした。そして就職も一般企業に無事に決まりました。その際も学校の先生が親身になってお手伝いしてくださったそうです。


脳疾患を患った後に自動車運転の再開をするか…という判断はしたことがあったのですが「自動車学校に行ってもいいか」という判断は、今回初めてしました。シンくんの場合は高次脳機能障害がほとんどわからないくらい回復したので「問題無し」と判断しました。教習は順調に進み、仮免許は取得して、もうすぐ本試験だそうです。(←私は本試験2回受けたからね。私より優秀なんじゃ…?)


そんなこんなで、一年前に心配していたことはほぼ全て解決し「そろそろ外来リハビリも卒業しましょうか」と話していたところに、嬉しい卒業報告でした。

シンくん!高校卒業おめでとうございます!とっても嬉しくて幸せな気持ちになりました。ありがとうございました!!!

これからも自分の人生を満喫してくださいね!!!

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