噂の山木保証人会

好きなこと

私の母校の久留米大学医学部医学科では、在学中に保証人(現在はコンサルタントに呼称が変わったが)と呼ばれる担当の教授を決めて、面倒をみていただくという伝統があった。私は入学が決まる数ヶ月前に、親しくさせていただいていた教授が急逝されたため「誰にお願いすればいいだろう…」と悩んだ。父に相談すると「私の同級生だった山木先生が助教授(今で言う准教授)だから、そのうち教授になるんじゃ無いの?希望調査には『次期教授』と書けば良い」と言われ、その通りにした。なので入学後しばらくは保証人不在だった。

教授選で無事に山木教授が当選し、山木教授誕生とともに山木保証人会が誕生した。保証人会は通常、各学年数名ずつ割り当てられるが、そんな過渡期にあったこともあり、私の学年は私だけだった。


教授によって保証人会の活動方法は様々だったが、山木教授の保証人会では年に2回ほど集まって飲食をともにしていた。久留米市内の飲食店に行くことが多かったが、甘木のビール工場に行き、ビール片手にジンギスカンを食べるのも楽しかった。山木教授はお酒を召し上がらないが、私達が飲んで騒ぐのを楽しそうに眺めていた。

山木教授は熱い方で、昭和っぽいと言うか、今で言うところのパワハラめいた発言も少なくなかった記憶がある。しかし、とても面倒見がよく、保証人会で面倒をみている学生達の動向をいつも気にかけてくれていたため、皆に慕われていた。

そんなわけで毎回毎回保証人会がとても盛り上がるので、他の教授の保証人会に在籍中の学生まで「自分も参加したい!二次会だけでも…!!」と直談判してきたり、他の教授が退官されて保証人会が散会した後にこぞって山木教授の保証人会に移籍したりするなど、異様な盛り上がりを見せていた。

山木教授が退官するまでに15年くらい?で、保証人会のメンバーは90人を越えたそうだ。ものすごい大所帯!

2020年に教授は定年退官されることとなり、退官記念祝賀会を予定しており、保証人会メンバーも招待していただき、とても楽しみにしていたがコロナで延期をくりかえし、ついに実現しなかったのは残念の極みだった。

そんなわけで山木保証人会の同窓会をしようという話が盛り上がり、デキる後輩が音頭をとって今宵開催できた!ありがたい!!


保証人会のメンバーは皆なにかしら山木教授に助けていただいた思い出話があり、武勇伝が尽きなかった。

私は成績があまり良くなかったものの、毎日大学に通って、決してサボらなかったことを評価してくださった。卒業後の研修先を選ぶマッチング(就職試験)で山木教授に私の推薦状をお願いした。あまり自己肯定感が高い方ではなかったので、面接試験で自分をどうアピールしたら良いのかわからずに黙り込んでしまった時に、面接官から「教授からの推薦状に『皆勤賞で勉学に取り組んでいました』と書かれていますが、これは本当ですか?」と話を振られた。「…はい」「それをアピールすれば良いじゃない。なかなかできないことよ。真面目なのね」と言われて初めて自信が持てた。無事に第一志望に決まったのは山木教授のおかげだと思う。


保証人会の後輩が亡くなった時のお葬式にも教授の姿があった。そのお葬式ではたくさんの保証人会のメンバーが集まっていて、久しぶりの再会を喜んだ。

面倒見の良い山木教授は亡くなった後輩のこともすごく気に掛けてマメに連絡を取り合っていたそうだ。私が知らなかった話も色々と教えてくださった。


そんな山木教授、退官後は登山を毎日のように楽しんでおられるそうだ。保証人会のメンバーから花束と登山で使えるコーヒーセットをプレゼントした。

山木教授が万歳が上手くて有名だったから「佐賀市長選のときに教授の真似して万歳三唱したら、撮れ高よかったみたいで佐賀市内では一晩中特番で使われたし、全国ニュースにもでて美味しかった。あの後から万歳三唱のオファーがちょいちょい来るんですよ」と話していたが…

こんな感じで

「やってみせてごらん」とばかりに教授の目の前で披露することに…!

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教授の前で緊張したこともあり、なんか笑いが込み上げてきてしまって、三唱のうち二唱目しかマトモに声が出ていないことが猛反省点だが…、とても楽しかった(笑)

山木教授は「保証人会で出会えたご縁がとても嬉しい。またこのような会が開催されるなら、私は生ある限り駆け付ける」と宣言してくださった。また次回が楽しみだー!!!

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