母乳とミルクと私

やまぐちゆか

育児に奮闘するお友達から「月齢の割に体重が軽いの」と子どもについて相談されて「ミルクを足してみたら?」とサラッと言ったのだけど「なんだか抵抗がある…」と言われたので、これを機に私の場合の母乳とミルクとの付き合い方について述べてみる。と言ってももう全員卒乳して久しいので、思い出しながら…


【長女の場合】完全母乳 1歳7ヶ月くらいまで

29歳で長女を出産。私の母が「3人とも完母(母乳のみ。ミルクを使用しない)で育てたわ!」と自慢していたのに憧れて、頑張って直接授乳した。ミルク代の負担や作製や消毒の手間がなく、私の身体一つで完結するので楽ではあったが、逆に言うと私がいないと何もできないことになり、授乳中は完全に子どもとずっと一緒で、正直しんどかった。たまには出掛けたい…と思っても、授乳後2時間もすれば胸が張りだし、3〜4時間経つと痛いほどだった。
いま話題の「育休中のリスキリング」よろしく、私は産後3ヶ月くらいで横浜まで試験を受けに行った。その際も試験の休み時間ごとに近くで待機してくれていた母と長女に授乳しに走ったりして、とても大変できつかった。ちなみにその時の思い出の新幹線旅行を綴ったのがこちら。

乳腺炎もめちゃくちゃ痛くて泣けた。


【次女の場合】母乳7ヶ月+ミルク

32歳で次女を出産(長女は卒乳済み)。産後4ヶ月で妊娠していることを確認した。次女はものすごくよく母乳を飲むのに、ちっとも大きくならなかったし、夜中もお腹が空いたとよく泣く子だった。6〜7ヶ月健診で、小児科医から体重増加不良を指摘された。
「ちゃんと飲ませています」と言ったが「足りていないからミルクを足しなさい」と指示された。
今になって振り返ると、授乳中かつ妊娠中(しかも双子)だったので、私が摂取したエネルギーはほとんど双胎妊娠に使われて、母乳には回っていなかったのかもしれない。でも当時はそんな冷静な考えには至らず「頑張っているのに、なんで足りないなんて言われなきゃいけないの?ミルクより母乳が愛着形成に良いし、事件もあったし…(←1955年 森永ヒ素ミルク中毒事件)母乳が出ないなんて私は母親失格だろうか…」と落ち込み、ドラッグストアでミルクや哺乳瓶を買いながら泣いていた。そんな私を見た前夫に「メソメソ泣いて陰気臭い」などと責められて「男には母乳が足りないと言われた女の惨めな気持ちなんてわからないんだ…」と心を閉ざした。これも今になって振り返ると「わからないなら伝わるように説明すれば良かった」と反省しているが、その当時の私にはそんな心の余裕は皆無だった。

ありがたいことに、ミルクを足したら次女は急激に体重が増えた。成長曲線から大きく外れていたのが、急速に回復してホッとした。夜もしっかりと眠るようになった。今や成長曲線ど真ん中で元気に育っている。

母乳神話に囚われていると、ミルクを足すことが敗北に思えることがあるが、そんなことはない。足りないものを補うだけだ。ミルクは母親を縛らないので、作り方を教えれば他人に預けるハードルが下がるというメリットもある。どうか悲観的にならないで欲しい。
ただミルクは大きくなるにつれて飲む量も増えて、ミルク代の出費を負担に感じることもある。それも「早く離乳食を進めて、美味しいものたくさん食べようね!」とモチベーションに繋げて頑張って欲しい。トイレトレーニングのオムツ代も同様に。

今やこんなに大きくなった次女

【三女の場合】母乳3ヶ月+ミルク

33歳で三女を出産。三女は未熟児だったので、小児科医から「できるだけ母乳を飲ませるように」と言われた。
「未熟児は消化機能が未熟で、ミルクでは壊死性腸炎になる危険性が上がります。大変ですが、搾乳を頑張ってくださいね。」と言われ、文字通り必死に頑張った。

ただ順調だった搾乳も、3ヶ月を経過した頃からパタリと出なくなった。マッサージとか食生活とか色々見直して、搾乳も時間をかけて頑張ったけどダメだった。母乳外来でマッサージさらながら「ストレスを抱えていない?母乳はね、精神状態の影響をけっこう受けるのよ」と言われた。その頃は前夫が家を出て別居していた頃で、確かにストレスフルだった。三女の主治医に「原因はわからないけど、母乳が出なくなりました。母乳外来に何度も通ったけれど改善しません。ミルクでお願いできないでしょうか。壊死性腸炎になってしまいますか?」と相談すると「もうだいぶ大きくなったから大丈夫ですよ。初乳が大事だけれど、その時期は乗り越えましたから。その頃でなかったらドナーミルク(いわゆる『もらい乳』母乳が潤沢に出る母親から母乳を分けてもらうこと)を使おうかと思っていましたが、もう必要無いです」とスパッと言われてホッとした。

次女の時に経験してミルクには抵抗がなかった(むしろ感謝しかなかった)ので、三女のミルクライフは充実していた。ミルクと哺乳瓶片手に遠出もしたし、外出先でのお湯の入手方法も熟れてきた。定番の授乳室、コンビニのポットのお湯をいただく(カップラーメンを取り扱うコンビニで店員さんに「お湯いただきます」と伝えて分けてもらう)、飲食店でお湯をもらう(カフェで自分の飲み物を注文したついで、居酒屋ならお湯割りセットをもらう)などで、意外と何とかなる。ちなみに粉ミルクは熱湯で溶かしてから冷ますことが大事で、ぬるま湯を持ち歩いてもダメなので気をつけてください。持ち歩くなら熱湯と水です。

哺乳瓶でも授乳フォト

【長男の場合】母乳4ヶ月+ミルク

35歳の時に長男を出産。最初は順調に母乳だったけど、4ヶ月経った頃に夫が「一人で育ててみたい」と長男を大阪に連れて行き、それを機に母乳が出なくなったのでミルクへ。

母乳にこだわりたい人には母子分離はオススメしません。ただ母子分離を望まなくても、NICUみたいに物理的に母子分離してしまう状況では、モチベーションなどを保つのも難しいし、母乳を続けるのはなかなかハードということ。そして、もし母乳が出なくなっても、ミルクでも十分に子どもは育つので、心配しなくて大丈夫!

海老反りで飲む長男を見守る三女

それでもどうしても気持ちが切り替わらない時は、授乳フォトを撮るのもオススメ。赤ちゃんと授乳と、命懸けで向き合っていた自分の記録を残すと、卒乳後にも良い思い出になるかも。

授乳フォトはゆかさんの得意分野だから、気になる人は連絡してみてください(^^)♡

https://studio-ff.biz/

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